北野佐久子さん 水と暮らしの関わりを
インタビュー!

イギリスでの暮らしは
かけがえのないものを教えてくれました

北野佐久子さんハーブ研究家、お菓子研究家、児童文学研究家

北野佐久子さんインタビュー後編

本の執筆や講座を通して、イギリスの豊かさを伝えようと活動する北野佐久子さん。ハーブ、お菓子、料理などの背景には、風土を知っていないと理解できない隠された意味があるのだと言います。暮らすことで初めて見えてきたイギリスの魅力を語ってもらいました。

待望のイギリスを第一印象から素晴らしいものにしてくれたのが、出発前に友人を介して出会ったイギリス人の夫妻だった。初めて降り立ったヒースロー空港まで片道2時間をかけて迎えに来て、コッツウォルズの村にある自宅に滞在させてくれた。夫妻が住んでいたのは17世紀の石造りの家。「羊のいる草原が広がり、庭は水仙で彩られていて、豊かな田舎の風景の美しさに天国に来たのかと思うほどでした」とその情景が目の前にあるかのような表情で語る北野さん。イギリスでは珍しく手をかけて料理を作る家庭だった。その家でのティータイムの習慣が彼女の心を大きく動かした。

とても幸せなスタート

夫妻の家の大きな冷凍庫には、りんごの収穫の季節に焼かれたアップルパイがいくつも入っていた。11時と4時のお茶の時間を毎日楽しめるようにと、日持ちするお菓子が用意されていたそうだ。その時間になると近所の人がビスケットやフルーツケーキをもって訪れることもあった。北野さんはそんな習慣に心から感心する。「日常の中に当然のごとくあって、さり気ないけれど、とても豊かな時間でした。お菓子の本来の姿は暮らしに根付いたこういう形、構えずに片手間にでも作れるようなものなのだ」と。それまでヨーロッパに伝わる手の込んだお菓子を学んでいた彼女にとっては、目から鱗が落ちるような感覚だった。「わたしの目指していたのは、こんなイギリスのお菓子だった」と気付かされたのだと言う。

思い通りにいかない場で、最善を尽くす イメージ1

夫妻の住むコッツウォルズの村に建つ家々の約半数はロンドンの富裕層のセカンドハウスで、生活レベルの比較的高い人々が住む。「イギリスの中でも豊かな人々の暮らしの中にポッと入ってしまったんです」。そこで親戚の娘のように扱ってもらえたことが居心地よく、「とても幸せなスタートでした」と微笑む。お菓子や料理、アンティークや暮らしのしつらえはもとより、イギリス人の温かさもまたこの夫妻を通して教えてもらった。「イギリス人は冷たいという印象をもつ方もいますが、つかず離れずの大人の距離感がわたしは好きです。必要なときには考えてくれたり、いろいろな人を紹介してくれたりして、サポートしてくれます」。

「水への意識が変わりました」 イメージ1

旅では触れることのないイギリス

ハーブ留学から日本に帰国した後も度々訪れていたイギリスに、結婚後、夫の転勤で4年間住むことになる。その間に北野さんは、娘を出産し育てた。「家族」という単位で暮らしたことで、そのカルチャーを内側から見る経験を得たことが大きかったと語る。その見聞は、観光旅行では触れることのないイギリスの奥に潜んだ物語や、ガイドブックでは表現されない田舎町の魅力を紹介した自身の著書にも生かされている。「ハーブもお菓子も児童文学も、それぞれの背景にある歴史や自然などイギリスの風土性を知ることで、より深く味わうことができます」。北野さんが追い求めていきたいことはそういったバックグラウンドであり、そこから生活や文化を伝えていくことなのだと。

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水のおいしさは日本が勝る

ティータイムのテーブルを囲みながら、イギリスを旅したような気分になる話がひとしきり続いたあとに、北野さんは唯一馴染めなかったのが水事情だったと教えてくれた。カルシウムの多い硬水は紅茶はおいしく入れられるが、髪を洗うと色が抜けて赤くなってしまうほど。「水のおいしさは日本が勝りますね」と、帰国後、水道に浄水器をつけずに満足をしていたけれど、少し前にタッチレス浄水栓がキッチンに導入された。

思いを引き出し、整えて、ちょっと冒険させる イメージ1

「『あら、おいしい』と浄水を飲んでみて思いました」と、やはり違いがあったよう。朝の習慣、薬を飲む水も味が変わってよかったと言う。「イギリスでもカフェやレストランでミネラルウォーターを注文しなくても、タップウォーター(水道水)は無料で頼むことができます。水道水を飲めることは貴重ですね」。浄水は野菜を洗ったり、パスタを茹でるのにたっぷり使えるのがありがたい。水道水は、温度設定をお湯にしておいて手洗いや食器などの洗い物専用にしている。タッチレスはお菓子作りの際には特に重宝する。「触れずにお湯と浄水を切り換えて使えるのが、すごく便利なんです」。シンクで主張しすぎないサイズ感も気に入っている様子だ。

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新たなアイテムの加わったキッチンの片隅には、イギリスで手に入れたのであろう趣のある紅茶の缶が置かれていた。時を重ねたヴィンテージの貫禄が何かを物語っている。イギリスの人は毎日お茶を飲む習慣がある傍、ひとつのティーセットをいつも使っていた、という北野さんの話がふと思い出される。「お世話になった夫妻の家では、必要なものを手に入れたら、家具でも何でも大切に長く使っていました。シンプルにコンパクトにというイギリス人の価値観。これは暮らしてみないとわからないことかもしれませんね」と、その丁寧な暮らし方を語る。20代の北野さんが最初に触れた「イギリス」は彼らであり、そこで目に映るすべてのものが新鮮で、日本にはなかった豊かさを肌で感じさせてくれた。

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「お金に替えられない財産だと思います。ここまでイギリスを好きになれるとは、当時の私は思っていませんでした」と。最良の出会いからイギリスが始まり、今なおその心に美しい時が流れているのだろう。

撮影/名和真紀子 取材・文/山根佐枝 取材日/2021年8月19日
北野佐久子

北野佐久子(きたのさくこ)

ハーブ研究家、お菓子研究家、児童文学研究家。東京生まれ。1980年代に日本人として初の英国ハーブソサエティー会員となる。1984年4月から9ヶ月間、イギリスのハーブ園にホームステイし、ハーブガーデンめぐりやハーブに関する文献の収集、研究などに励む。帰国後、ハーブ留学で得た成果を執筆、1986年に『香りの魔法』を、1987年に『ハーブの事典』(東京堂出版)を出版。結婚後にウィンブルドンで4年を過ごし帰国。ひとり娘の母。出版や講座を通じて、ハーブ、お菓子、児童文学などを中心としたイギリス文化の紹介をする。著書は30冊近くに及ぶ。英国ハーブソサエティー終身会員。ビアトリクス・ポター・ソサエティー会員。今田美奈子ムースの会(師範資格者の会)会員