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1958 陶器メーカーが挑んだ新素材の浴槽

高度経済成長期時代の幕開け

芝の上空には東京タワーが天を突き、後楽園球場では長嶋が4打席4三振の鮮烈なデビューを果たした。日比谷では多くの女性がロカビリーバンドに失神。そんな“熱狂”の渦に日本中が包まれていた1958年、発売されたのが新素材の浴槽「ポリバス」である。
2年前には「もはや戦後ではない」という言葉が流行語になり、始まったばかりの高度経済成長は、公共住宅やホテル、マンションの建設ラッシュを後押ししていた時代であった。

陶器メーカーが挑んだ新素材

当時、最先端であったFRP(ガラス繊維強化プラスチック)を用いて作られた新式の浴槽。しかしなぜ、陶器のメーカーが“プラスチックの浴槽”だったのか。もちろん、陶器の風呂は作っていた。しかし、技術的に大変難しく大量生産するのは不可能、コストもかさむ。折しも、日本では高度成長期が始まっており、公共住宅へ大量に供給するため、浴槽の量産化が求められていた。スタッフたちの間には、「このままでは、時代に取り残される」という不安の空気が、色濃く漂っていた。
もはや陶器にこだわっている場合ではない。その頃、第二次大戦末期に米国が開発したFRPが樹脂メーカーにより日本に紹介されていた。「人々の住まいづくりの役に立つなら、どんな素材で作っても一緒じゃないか」。それは陶器メーカーにとって、大きな決断だった。
こうして、FRP素材による浴槽の開発がスタート。しかし、前途はもちろん洋々ではなかった。そもそも新しく発明されたばかりの素材のため、耐久性が十分ではなかった。特に熱に対して脆弱で、日本人好みの熱い湯を満たすには、向いていなかった。
それでも、「一日の疲れを癒す風呂は、家の中で最も大切な場所」と、スタッフの決意は揺るがなかった。何度も試行錯誤を繰り返し、独自に樹脂を開発するなどして、ついに、高温(水)噴き出しの循環釜にも対応できるFRP風呂が完成した。新しい素材の新しい浴槽であることを印象づけるため、プラスチックを意味する「ポリ」の浴槽で「ポリバス」と名付けられた。
かくして、丈夫で長持ちし、お湯も冷めにくいと評判の「ポリバス」は、独自のプレス製法が大量生産を可能にしたこともあり、全国を席巻した。
参考資料:「巧と業の協奏 INAXと常滑焼のあゆみ 」:1986年 発行
    : INAX 20th Anniversary Digital Archives :2005年 発行

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