1967 時代を先取りしたシャワートイレの誕生

高度経済成長期の序章の時代

近代化が進んでいた高度成長期のニッポン。上下水道の整備は進み、住宅のトイレもにわかに水洗化していた。東京オリンピックの選手宿舎に洋式便器が設置されたのを皮切りに、便器の洋風化も徐々に始まっていた。
そうしたトイレをとりまく環境の整備が整いつつあった1967年に、世に送り出されたのがこの「シャワートイレ」である。いまでこそ国内普及率は70%を超え、外国人も土産に買って帰るなど日本の清潔文化の代名詞となっているが、当時は医療用の輸入品があったくらいで、しかも新車が一台買えるほど高価なものだった。

“夢のトイレ”国産化プロジェクト

紙を使わない夢のトイレを作りたい。──衛生陶器で戦後の豊かな生活づくりに貢献してきた伊奈製陶にとって、それは宿命ともいえた。しかし、清潔好きの日本人が紙を使わず、ただ温水に洗われ、温風に吹かれるだけで満足するだろうか。作っても実際に売れるのだろうか。あからさまに反対するスタッフもいたが、“ともかく挑戦してみよう”という社風もあり、ついに“夢のトイレ”の国産化プロジェクトはスタートした。
しかし、開発スタッフは、輸入品を改めて調べてみて、頭を抱えてしまった。日本人の体格には不釣合いに大きく、温水や温風の当たる位置もまったく違う。ほとんど参考にならない。「これは一からノズルの位置を特定するしかない……」。しかし、日本人の肛門の位置を示すデータなど、日本中どこを探しても無かった。
悩み抜いた末、開発スタッフが打った手は、社員の「尻型」を取ることだった。男子社員は下半身裸で。女子社員は、スタッフが平身低頭して頼み込み、水着より薄い布をまとった姿で粘土に尻の型を押してもらった。湯の温度も、故障してやけどを負わせることなど万が一にも無いよう、二重、三重の対策を凝らした。数え切れないほどの試作を重ね、ようやく初出荷にこぎつけた時は、開発着手から2年もの月日が経とうとしていた。
こうしてようやく発売された“紙のいらない夢のトイレ”ではあったが、シャワートイレの普及率が50%を超えるのは2000年代に入ってからで、時代が“夢のトイレ”に追いつくのは、まだまだ先のことであった。
参考資料:「巧と業の協奏 INAXと常滑焼のあゆみ 」:1986年 発行

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