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1963 運命の出会いがもたらした大ヒットの雨戸

東京オリンピックを控え、東京の街並みがガラリと変貌

東京の街は、カレンダーをめくるごとに、その姿を変えていた。
「スピード雨戸」が発売された1963年。アジア初のオリンピック開催を翌年に控え、「戦後」から「現代」に、急ピッチで作り変えられていた。
さらにその前年の1962年には、都の火災予防条例が変更。家を新築する際は、雨戸の表面にブリキの鋼板を貼るなどの防火処理を施さなくてはならなくなっていた。
しかし、当時の防火雨戸の取り付けは、まず職人が木枠を現場で組み立て、カンナで削って歪みを調整した後、一度取り外して表面に鋼板を貼り付けてから、再び窓に取り付けるという、大変に時間と手間のかかる方法をとっていたため、なかなかはかどらない。

最後の“賭け”

一方、そのころのトーヨーサッシは赤字が何年も続いており、窮地に立たされていた。
「他社との差別化ができなければ会社は潰れてしまう。時代の変化にもついて行けない」そう考えていたトーヨーサッシ社長、潮田健次郎のもとに、金具など様々な発明を手がけていた川口技研社長の納口昭二氏が訪ねて来た。そして見せたのが、「スピード雨戸」の試作品だった。
それは、予め鋼板を貼り付けた状態で窓に設置できるよう工夫されていた。これなら、工場で鋼板を貼り付けた状態で出荷できる。施工時間は劇的に短縮するだろう。その分、職人は他の作業に取り掛かることができ、施工主は人件費を節約できる──潮田は一目見て「必ず成功する!」と確信した。「これが当たらなければ……」。潮田にとって、最後の“賭け”でもあった。
果たして、「スピード雨戸」は、空前の大ヒット。その名の通り、雨戸の施工時間は従来の6分の1にスピードアップした。納口氏から特許を買い取っていたので、他社は真似できない。1日24時間、毎日作り続けても生産が追いつかなかった。注文してもなかなか納品されないため、間違って規格違いの品が届いても、工務店はキャンセルせずにとっておいたほどだという。それほど、この「スピード雨戸」が当時の建設業界に与えたインパクトは大きかった。
発売の翌年、無事にオリンピックは開催。ニッポンは見事に復興した東京の街並みを世界中にアピールした。その後も続くニッポンの住宅の近代化に、この「スピード雨戸」は多大な貢献をしたのである。
参考資料:「熱意力闘 私の履歴書」:2011年 発行

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