キッチン会議

ハノイの街角からアジアのキッチン1

コラム | 2017.7.4

「キッチン会議」では自分らしいキッチンを見つけ出すためのヒントを、
みなさんと真面目に、時には頭をやわらかくして話し合っていきたいと思います。
毎回コラムで話題を提供したり、建築家や専門家の意見を紹介したり、
アンケートを通してみなさんの暮らしぶりや考えをうかがったり。
さまざまな視点でキッチンを見つめながら、「キッチンの答え」を一緒に考えていきましょう。

上の写真はベトナムの庶民の家のキッチンの様子です。玄関に入るとすぐにキッチンがあります。食事をするところ、料理をするところはどの国でも大事です。昔の日本も玄関近くにかまどがありました。かつては多くの国がキッチンを玄関近くにおいていました。食べるところも玄関近くでした。しかし近代化の過程でキッチンは家の奥に配置されるようになっていきます。
それは以前こちらのコラムにも掲載しましたが20世紀に入り、ガスが普及することで、キッチンをどこにでも配置することが可能になったことが大きな理由です。それまではかまどを土間に置いたり、家の外で炭で魚を焼いたりしていました。そしてもうひとつの理由は、産業革命以降庶民の間でもメイドの文化が生まれます。そのことによって家事をできれば隠すものとして、裏動線へと追いやっていくことになりました。
日本でも同じように多くの家ではキッチンは隠すものへと変わっていきます。しかしこのベトナムの写真のような家をみるとどこか懐かしく楽しそうに思えます。近代化のプロセスで切り捨ててきたことをもう一度現代の文脈に乗せて考えるのも悪くありません。

道路もダイニングになる

この下の写真はレストランですが、外の道路を使っています。同じように多くの人が家の外の道路までもつかって食事をしている風景をよく見かけます。生活が道路にまではみ出してしまうという、内と外の境界線が曖昧になるのも街の風景を豊かにさせる要素かもしれません。昔日本でも家の前の路地でサンマを七輪で焼くという風景があった時代もありましたし、30年ぐらい前でも隣の人の換気でどんな料理をしているかがわかった時代もありました。今のように生活の気配が感じられない街はどこか寂しい気もします。

もちろん昔の間取りに戻るというわけにはいきませんが、キッチンの場所、食事の場所をもう少し「外」と近い場所に配置するというのは考えてみる価値はありそうです。
今のマンションや家の間取りに、外と内との間に、自分のものでもない、公共のものでもないような緩やかな領域があって、そこに暮らしがはみ出してくるそんな場所があるといいのです。

日々の風景を共にすること

近隣とのコミュニティは何かを一緒にするという活動をベースにしたものもありますが、日々の暮らしの風景をともにするというのもありそうです。かつてあった「おすそ分け」という文化もこうした「暮らしがはみ出すこと」によってより近隣との関わりが生まれるものです。みなさんはどのように思いますか。ぜひ参考にしてください。

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