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ものづくりLAB

INAX presents TILES ON THE PLANET
タイルの世界 イギリス編VOL.1
東方への憧れを綴ったタイルロンドン、「レイトンハウス」のアラブホール

レイトンハウスは、ロンドンの住宅街にのこる、19世紀に建設されたフレデリック・レイトン卿のスタジオハウス。
室内装飾のタイルを読み解けば、好奇心と冒険に満ちた時代の「エクレクティシズム(折衷主義)」が見えてくる。

レイトンハウス「アラブホール」のタイル壁面の一部。花鳥などの鮮やかな文様が埋めつくす

19世紀イギリス人芸術家の夢

 ロンドンはケンジントンの閑静なお屋敷街、ホランドパーク・ロード。赤茶のレンガ一色のエントランスを入ると、深い碧のタイルに朝日がゆらゆら揺れるホールへと導かれた。色彩のコントラストの鮮烈さに圧倒されながらまわりを見渡せば、孔雀の剥製やポンペイ風のブロンズ像が……。ロンドンにいながら、異次元に迷い込んだかのようだ。

 ここは、19世紀イギリスの芸術家、フレデリック・レイトン(1830~1896)のスタジオ・ハウスとして建設された「レイトンハウス」。レイトンはラファエル前派の画家として知られ、当時ヴィクトリア女王のコレクションにも加えられその名が広く知られた。1868年にはロイヤル・カレッジ・オブ・アートの会員へ、その10年後に会長に上り詰め、亡くなる直前には芸術家として初めて、レイトン「卿」、ストレットン「男爵」の称号を与えられている。
 この館は彼が芸術家としてのステータスを確立した1860年代後半に建てられ、その後増改築されていったものだ。客人を迎える「ステアケースホール」では、タイルの碧と、階段脇のイランの簞笥の上で一点を見つめる剥製の孔雀が奇妙に調和している。となりのホールにはブロンズのナルシス像があり、「ナルキッソスホール」と呼ばれている。
 二つのホールで主張している碧いタイル。その表情のゆらぎは、光が揺れてもたらされるだけでなく、釉薬のムラそのものの効果でもある。この大胆なムラを生み出したのは、ヴィクトリア朝の名タイルデザイナー、ウィリアム・ド・モーガンの工房だ。

左:15世紀ヴェネチアの館の中庭がモデルの「ステアケースホール」。レイトンが椅子に改造した17〜19世紀のシリアの簞笥に、インディアンブルー・ピーコックが鎮座する。写真/©Leighton House Museum, Royal Borough of Kensington and Chelsea. Image courtesy of Will Pryce 右:17世紀後期と推定されるイズニックタイルが張られた階段部のタイル壁画。

左:「ナルキッソスホール」の中心にはナルシスのブロンズ像が。右:水に映った自らの姿を愛したナルシスの物語にちなんで、水面を現したド・モーガン工房製作のブルータイル。

異文化体験が生んだ「エクレクティシズム・折衷せっちゅう主義」

 レイトン卿は、裕福で社会的地位のある家に生まれ、少年のころから一家でヨーロッパ各地に住まい、5カ国語を操ったという。長く異文化を体験、吸収した彼にとっては、折衷こそが文化的アイデンティティとなったのかもしれない。
 そんなあり方がもっとも顕著に現れている空間がある。「レイトンハウス」のハイライト、先の二つのホールの奥にある「アラブホール」だ。
 記録によると、レイトンは1858年、アルジェリアを旅してイスラム文化への情熱を抱くようになる。そして、イタリア・シチリア島パレルモを訪れた際、12世紀の島の支配者、ノルマン王グリエルモⅠ世が建設した「ジーザ宮殿」に強く心を動かされた。ジーザ宮殿は、アラブ=ノルマン様式の夏の離宮。つまりイスラムの影響を色濃く受けた、ノルマン人による混合様式の建築だ。
 「アラブホール」の空間は、「ジーザ宮殿」のスケッチをもとに、1877年から81年にかけて増築されたという。

左:フレデリック・レイトン卿。Frederic Leighton ©The Royal Borough of Kensington and Chelsea
右:ガーデンから見たレイトンハウス外観。設計はジョージ・エイチソン。Digital Montage of the View from the Garden Showing the New Staircase Rotunda, Courtesy of BDP Architects

貴重なタイルピースに出合う「アラブホール」

 壁面を飾るタイルにはトルコ、シリアなどの骨董的価値の高いピースも多く、それらがモザイク状に組み合わさっている。レイトン自身が入手したものもあるが、タイルの入手には、興味深い人物が関わっていた。
 一人は、同時代人の有名なイギリス人冒険家、リチャード・バートン。数々の辺境を旅し、ナイルの源流を探ったこの豪傑と親しくなったレイトンは、「ダマスカスに行くならばぜひ」とタイルの購入を頼む。
 もう一人、キャスパー・パードン・クラーク卿がいる。彼は、サウスケンジントン・ミュージアムの収蔵品の買い付けをしていた人物だ。後にヴィクトリア&アルバート・ミュージアムとなったこの名所を訪ねれば、コレクションへ傾ける英国人のただならぬ情熱を読み取ることができる。
 1851年、レイトンが二十歳を過ぎたころ、世界初の国際博覧会「ロンドン万博」がクリスタルパレスで開催されている。時代の空気は未知の世界への好奇心と冒険心に満ちていただろう。世界を広く知るレイトンは、彼ならではのエクレクティシズム(折衷主義)を、スタジオ・ハウスに結晶させようとしたに違いない。
 陶磁器やガラス器が旧くから東西の文化交流を果たしたように、「タイル」もまた人を魅了し世界を往来した。19世紀イギリスの芸術家の、夢のかたちが読み取れる場所、それが「レイトンハウス」なのである。

「アラブホール」はビザンチン、イスラム、ノルマンの文化が混ざり合った12世紀シチリアの「ジーザ宮殿」がモデル。モザイクタイルとタイルが壁面や床を飾る。

左:アラブホール中央につくられた泉。レイトンの夢が息づいているようだ。
右:アラブホールでももっとも貴重な、17世紀初頭ペルシアのクバチタイル。

取材・文/田代かおる 写真/梶原敏英(特記クレジット写真をのぞく) 編集/アイシオール

この記事は『コンフォルト』(建築資料研究社)に連載された「INAX presents TILES ON THE PLANET」の2008年4月号掲載分の再構成です。

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