土屋由美さん 水と暮らしの関わりを
インタビュー!

カナダで暮らした10年の経験は
私のベースにある一生の宝物です

土屋由美さん料理研究家

土屋由美さんインタビュー前編

「葉山」という地名の響きに、素敵な時間が流れる場所を想像する人は少なくないかもしれない。海と山の自然が身近にあって、都心からもほどよい距離。そんな土地で生まれ、海外、東京での生活を経て、再び葉山に根を張る土屋由美さん。料理研究家として、カフェや料理教室を主宰する彼女の「生きることは“食”とは切り離せない」という言葉の背景にある思いとは。

かつて葉山、森戸海岸の神社の鳥居の前に、古民家を改装したおしゃれなカフェがあった。今でこそ古い家屋を使って営む店はよく見かけるけれど、二十年ほど前の葉山ではそれがとても新鮮に映った。絶妙なバランスで配置された古いテーブルや椅子、素材にこだわり丁寧に作られた料理やスイーツ、厳選されたお茶やコーヒーを出すという点でも、ほかにはない独特の魅力が光っていた。感度の高い客が、地元はもちろん、都内からも足を運ぶそのカフェmanimaniを母と共に切り盛りしていたのが、料理研究家の土屋由美さんだ。2014年にそこでの営業は終了したものの、現在は葉山の自宅で、カフェ&ギャラリーを不定期にオープンし、料理教室を開いている。

「緑と風を感じられる家」

葉山の海から歩いて10分。海岸線に迫る山へと続く坂の途中に建つ家は、巻貝のようなつくり。1階の玄関を入ると、階段を軸にして庭に出る扉や寝室の扉が続き、3階のリビングダイニング、そしてキッチンへとつながっていく。壁には、やわらかな彩の絵や写真、アーティストの造形、自然から摘んできた草花のオフジェなど、さまざまなものがさりげなく飾られている。3階まで上りつめると、一気に視界が開ける。西側の大きな窓の外には江ノ島が浮かぶ海を望むことができる。まるで外にいるような開放感だ。晴れた日には富士山まで見渡せるこの空間は、由美さんが1日のほとんどを過ごす場所だ。

「緑と風を感じられる家」イメージ1

調理台でデトックスウォーターに入れる柑橘類を切っていた由美さんが、ミモザ色のキモノ姿でおおらかに迎えてくれた。テーブルの上には春の花が活けられ、もてなしの料理が用意されている。「緑と風を感じられる家を」と建築の際にリクエストしたという住まいは、その言葉どおり、葉山の自然を肌で感じられる居心地のよさ。彼女のテイストで集められたヴィンテージの家具や雑貨は、和洋国籍を問わずに不揃いならではの個性を奏で、ひとつの空間で見事に調和している。家を建てて住み始めてから13年が経ち、やっと馴染んできたのだと言う。

「緑と風を感じられる家」イメージ2

インテリアと料理に共通するもの

料理研究家の由美さんの「台所」となると、どれだけこだわりをもって設えれられたのかが気になるところ。プロ仕様のガス台とオーブン、冷蔵庫が置かれたキッチンには、使い勝手を吟味した調理器具が並び、調理用、手洗い用など、大小3つのシンクがある。ガラス窓を背景に白い棚に甘い色の絵付けの器が並び、ロフト式になった棚には普段使わない調理器具が収納されている。実はこのキッチン、カフェ営業許可の条件を満たすために、スライド式のドアで独立した空間に仕切ることができる。

インテリアと料理に共通するもの イメージ1

家族のためのリビングダイニング、そしてカフェ&ギャラリー、料理教室、さらに時としてはピラティスやヨガのスタジオとしても使われる3階のフロアー。男の子が二人いる家庭とは思えないほど、きれいに片付いていることに驚いていると、「店の営業に合わせて家具を移動するので、その度に掃除もできていいんですよ。配置を変えると気分も変わるし」とこともなげに言う。家のインテリアに表れる視覚的センスに加え、思いを形にするアイデアやバイタリティは、彼女の料理にも共通している。繊細さとダイナミックさ、古さと新しさ、違うベクトルのものが絶妙に同居する由美さんの発想は有機的(オーガニック)で、人の心を引きつけ、幸せにする何かがある。その秘密は、彼女の育った環境や経験にあるようだ。

インテリアと料理に共通するもの イメージ2

お菓子づくりにはまったきっかけ

中学一年生のとき、家族でカナダに移り住んだ由美さん。半年後に、仕事の都合で両親は帰国したけれど、由美さんは姉と共に残ることを選んだ。「そこからが冒険の始まりでした」と語るように、12歳で親と離れて暮らした日々には寂しさや苦労もあったに違いない。けれどそれを差し引いても、大学卒業までの10年間で受けた刺激が今を育む大切な栄養となった。「あの味おいしかったなぁとか、きれいなものをどこかで見たなと思うと、カナダで体験したものだったりするんです」。カナダは移民が多く、さまざまな国のカルチャーや食を知ったことも大きかった。そんな思い出を一生の宝物だと実感している。

お菓子づくりにはまったきっかけ イメージ1

「お菓子づくり」に初めて挑戦したのもホームステイしていた家で。「ファミリーには同年代のお兄さんが二人いて、その一人がチョコレート、ピーナッツ、小麦、乳製品のアレルギーで、冷蔵庫には大豆やライスミルクが常備されていました」と。それが食べ物に興味をもつきっかけとなった。制約の中でお兄さんに安心して美味しいと言ってもらえるおやつを作りたいと努力するなかで、お菓子づくりにはまっていったのだとか。「当時、日本ではまだ認識の低かったグルテンフリーについても、そのときの経験が生きて早い時期から取り入れていました」。森戸神社の前にあったカフェmanimaniは、20年前からオーガニックやアレルギー対応の食材や料理を提案し、食に対する意識の高さも評判となっていた。

お菓子づくりにはまったきっかけ イメージ2
撮影/名和真紀子 取材・文/山根佐枝 取材日/2021年2月8日
土屋由美

土屋由美つちやゆみ

料理研究家。葉山生まれ。中学一年生のときに家族と共にカナダに渡る。半年後に両親は帰国するが、その後も大学卒業までを現地で過ごす。帰国後は東京に住み、外資系証券会社に勤務。2000年に母の始めたカフェ「manimani」のオープンをきっかけに葉山に戻り、運営を手伝うようになる。2009年、葉山に建てた自宅でカフェ&ギャラリーをスタート。不定期で営業するほか、ケータリング、料理教室などを行う。薬膳インストラクター、メディカルハーブセラピストの資格をもつ。夫と二人の男の子と共に暮らす。