北野佐久子さん 水と暮らしの関わりを
インタビュー!

ハーブにまつわる謎を解明するためには
イギリスを肌で感じなければと思いました

北野佐久子さんハーブ研究家、お菓子研究家、児童文学研究家

北野佐久子さんインタビュー前編

ハーブ研究家として日本では早い時期から活動を始め、自身の体験と知識を生かし数多くの本を執筆する北野佐久子さん。「ハーブ」に惹かれ24歳で初めて訪れたときから今に至るまで、イギリスに心を奪われ続けていると言う北野さんのティータイムにお邪魔しました。

マホガニーのテーブルにはレースのクロスが掛かり、ヴィクトリア時代を彷彿させるティーポットやカップ&ソーサー、ケーキ皿、そしてシルバーウエアが並んでいる。窓のカーテン越しに光が差しこみ、ラベンターを焼き込んだスポンジにラズベリージャムを挟んだヴィクトリアンケーキを優しく照らしている。その脇にはアイシングの載ったレモンバーム入りレモンドリズルケーキと、ローズマリーとタイムが入った焼きたてのチーズスコーン。北野佐久子さんの食卓の上では、イギリスのティータイムが始まろうとしている。

変わらぬイギリスへの思い

少し早く到着して、スコーンを仕込んでいるキッチンを覗かせてもらった。北野さんは粉とバターをボウルの中で擦り合わせると、粉のついた指をお湯で洗い流し、ベランダへの扉を開け、鉢植えから素早くローズマリーとタイムを摘んで来る。浄水でさっと洗って細かく刻み、先ほどのボウルにチーズと一緒に入れてパプリカを合わせざっくりと混ぜる。そこに牛乳を加え生地をまとめていく。まるで米を研いでご飯を炊くかのように手慣れたしぐさ。週に一度は作り、焼いたものを冷凍しておいて、おやつや軽食の際にオーブンで温めるのだと教えてくれた。

プロフェッショナルの住む家 イメージ1

日本にいながらにして、イギリスで身についた様式が脈々と息づいているライフスタイル。リビングダイニングの一角には重厚なマホガニー家具が置かれ、その上にシルバーやプレストガラスの器が飾られている。深い引き出しの中からカトラリーを取り出しつつ、アンティークシルバーのディーラーで友人でもあった女性のエピソードを懐かしそうに話す北野さん。家にあるイギリスの家具や食器はほとんどが現地で手に入れたアンティークなのだとか。思い出深いものに囲まれながら暮らす北野さんは、初めて訪れたときから数十年経った今も、イギリスに心惹かれて止まないと言う。

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ハーブに隠された意味を求めて

北野さんがイギリスに思いを馳せ始めたのは大学時代。そして大学を卒業して非常勤として国会図書館で働いていた頃もその気持ちは褪せなかった。もともとお菓子作りが好きで、すでに講師の資格まで取得していた。一方で「ハーブ」という未知のものに吸い寄せられるように、英国の絵本作家であり、ハーブに見識が深いサラ・ガーランドの著書『ハーブ&スパイス』を洋書店で手に入れる。「洋書を開いたら、ハーブが事典のように並んでいて。ラベンダーがハーブのひとつだと知ったのもその本です」。1980年代の日本では、まだハーブという言葉さえあまり知られていなかった。

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『赤毛のアン』に出てくるラベンダーが何なのかわからず、それでシーツを香らすとはどういうことなのだろうと思っていた子供の頃。『ピーター・ラビットのおはなし』のお母さんがピーターに飲ませるカモマイルティーが気になった大学生の頃。「そもそもハーブは他の植物とは何が違うのか」と、ハーブにまつわる謎を解明したいという気持ちがその洋書によって後押しされた。さらにそんな彼女に友人がイギリス旅行のお土産にとハーブとポプリの小冊子を持ち帰ってきた。英国ハーブソサエティーのその冊子にあった連絡先に問い合わせて、日本人で初の会員として登録。「これでわたしの興味のあることをより深められるかなと思いました」と語る。

「家のことを考えるのが好き」という気持ちから イメージ1

「文学の中に現れるハーブは、たとえば勇気の象徴だったり、魔除けの効用があるなど、聖書やシェイクスピアに親しんできたイギリス人ならすぐわかる隠された意味があります。それをどうしても確かめたくて」。それには行って肌で感じるしかないと、イギリス行きを決意した。「準備には3年もかけて、たった9ヶ月間の滞在でした」と言うけれど、収穫は想像以上のものだった。その下地としていつか必要になるだろうと英語の勉強を学生時代から熱心にしていたことも功を奏した。

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将来に繋がるキャリアの道を外れての渡英は、同僚や家族の反対を振り払っての選択だった。けれど「自分が心からやりたいと思う仕事を見つけたい。できればハーブをテーマにイギリスに関連したことを」という強い願望があり、その根底には「書く仕事」という思いが流れていた。控えめながらもひとつひとつのピースをきちんと積み上げていく姿勢から、北野さんの芯の強さが伝わってくる。

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「目的をもって行くことが大きかった」

運も実力のうちとは言うが、北野さんの場合、人との巡り合いがそのラックを引き寄せている。もちろん彼女の人柄あってこその話。出会う人々がさまざまなタイミングで、次の扉を開く鍵を手渡してくれた。最初にイギリスにハーブの勉強に行くと言ったとき、「先見の明があるね、頑張っておやりなさい」と背中を押してくれた恩師。帰国後に本を出版する手立てを約束し、送り出してくれた。「その方なくしては」と北野さんが感謝する通り、今の彼女の礎となる1冊の本『ハーブの事典』(東京堂出版)が帰国後に出版された。苦労したけれど、「若いときほど、こういう大変な本を出したほうがいい」と励まされ、その後も仕事が広がるようにとさまざまな方面へ紹介してくれた。

アルバイトをした寺の住職から教わったもの イメージ1

「目的をもって行くことが大きかったですね」と改めて振り返る北野さん。本を書くというミッションが、イギリスでの滞在中により積極的に動くモチベーションとなった。「ハーブガーデンにステイして、現地でハーブの本から調べた著者に手紙を書いては訪ねて行き、ハーブの知識や参考文献を聞きました」。また一眼レフカメラを使ってポジフィルムで写真を撮ることにも上達し、さまざまな映像を残すことが出来た。

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出発前準備としてさらにラッキーだったのは、本来は現地の学生が論文を書くときも推薦状が必要な大英図書館への入館の許可を、国会図書館に研修で来ていた大英図書館のオリエンタルセクションの司書の方にお願いして取ることができたこと。「ハーブの本の文献として挙げられる古い書籍を、実際に調べるためでした」という熱意があったからこそ。いよいよ初めてのイギリスが現実のものとして近づいて来る。

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撮影/名和真紀子 取材・文/山根佐枝 取材日/2021年8月19日
北野佐久子

北野佐久子(きたのさくこ)

ハーブ研究家、お菓子研究家、児童文学研究家。東京生まれ。1980年代に日本人として初の英国ハーブソサエティー会員となる。1984年4月から9ヶ月間、イギリスのハーブ園にホームステイし、ハーブガーデンめぐりやハーブに関する文献の収集、研究などに励む。帰国後、ハーブ留学で得た成果を執筆、1986年に『香りの魔法』を、1987年に『ハーブの事典』(東京堂出版)を出版。結婚後にウィンブルドンで4年を過ごし帰国。ひとり娘の母。出版や講座を通じて、ハーブ、お菓子、児童文学などを中心としたイギリス文化の紹介をする。著書は30冊近くに及ぶ。英国ハーブソサエティー終身会員。ビアトリクス・ポター・ソサエティー会員。今田美奈子ムースの会(師範資格者の会)会員