海のイメージが強い葉山は、実はその名の示す通り、海岸線のすぐ側まで横須賀や逗子へと尾根伝いにつながる山の緑が広がっている。小高い丘が起伏を成し、住宅地の裏手まで木々が迫っている場所も多い。まさにそんな一角、車のエンジンが唸りを上げる急な坂道を登ったところに、丸山紗加さんのサロン兼自宅は建っている。キッチンとリビング、そして稽古場として使っているダイニングのある2階に案内されて、わっと心踊る。ベランダへの大きなガラス戸の向こうには、遠く海を望み、富士山の輪郭が映っていた。アジアンアンティークの趣ある茶箪笥や棚、繊細なつくりの茶碗や急須が飾られ、野に咲くような自然な佇まいで花が活けてある。テーブルには、茶道具とお茶に合わせたお菓子が並び、ポットの中でお湯が湧こうとしていた。
中国茶を飲んで体の調子が良くなった*
訪れたこの日は、残暑厳しい8月の終わり。挨拶と共に、バラの花びらが紙吹雪のようにちりばめられた金色の冷たいお茶を振舞われ、すっと汗が引き、心もまた落ち着きを取り戻す。この一瞬から人をもてなす気持ちが伝わってくる。関西で生まれ育ち、ちょっとハスキーな声も相まって、陽気な印象が先行するけれど、その一方でとても静かにものごとを捉える内面をもつ紗加さん。中国茶について語るとき、知識はもとより茶に対する愛情が人一倍であることが見て取れる。まずは中国茶との出会いから話を聞いてみた。
10代から旅が好きで、さまざまな国を訪れ現地の料理を味わうのが何よりも楽しみだった。「すごく食いしん坊で、1日5食でも食べたいくらい」と言う紗加さんの悩みの種は、旅の3日目くらいから消化が滞ってしまうこと。ただ香港を訪れたときだけは、腸の調子がよく食べ続けることができた。そこで気づいたのが、飲んでいたお茶の効果。「プーアル茶や鉄観音茶だったのですが、美味しいだけでなく体の調子がよくなる*ことを知り、海外旅行には必ず中国茶をもっていくようになったんです」と。そのうち中国茶に対する気持ちが高まり、それが旅の目的となる。香港や台湾の茶藝館をめぐり、美味しいお茶を追い求めるまでに。今から20年以上前、日本では中国茶を扱う店は今ほど多くなく、欲しい茶葉は自分で仕入れなければ入手するのが難しかった。
味覚、嗅覚が納得する茶葉を求めて
中国茶の味や香りに魅せられつつ、その背景にある文化や歴史、喫茶の習慣、人々の暮らしも知りたくて、中国、台湾、香港へと年に数回訪れていた。さらに茶作りの現場の空気を体感するために、広東省や福建省の高地にある茶畑も訪ねた。やっとの思いでたどり着いた過酷な地で、生産者がたいへんな時間と労力を費やして育て、収穫している様子を目の当たりにして、それまでお湯を注ぎ簡単に飲んでいた茶葉に対しての意識が変わった。「お茶は天と地と人の集大成であることを決して忘れてはいけない」と心に刻み、それが中国茶を教える紗加さんの基盤となった。
ここ数年は、政治の中心であり、各地の最高級のお茶が集まってくる北京へと買い出しに出向いている。仕入れの際に頼りにするのは、自らの味覚と嗅覚。茶藝館や喫茶店、料理店で味わった「美味しい茶」を求め、市場に並ぶ茶農家の店を訪れる。中国語が堪能ではないと言う紗加さんだけれど、買い付けの際は全力で交渉。テイスティングとして出されるお茶の味に心から納得するまで、「これではなくて、もっと美味しいお茶があるはずだ」と首を縦に振らない。そこでのやりとりもまた、中国茶を仕入れるおもしろみなのではないかと、話を聞いていて思う。
「店によっては、すぐには良いお茶を出してこない所も」。茶藝館などから紹介されて行ったとしても、ほんとうに価値が分かる客なのかどうかを試すかのように、違うお茶を勧める店もある。たとえ店員が嫌な顔をしても、めげずに自分が前に味わった「美味しいお茶」が出て来るまで粘る。向こうが根負けしていよいよ目当てのお茶が出されたときには「そうそう、これなら買います!」と強気でいく。そんなやりとりは、大事な茶に対するその店の愛情からくるもの。こうして現地の人々の懐に入っていくと、とてもいい交流ができるのだと。
「お茶は中国人の誇りです」
20年以上、こんなやりとりの中で茶文化を見てきた紗加さん。「お茶は中国人にとって『誇り』です」ときっぱり言い切る。日本の茶道が流儀を重んじるのに比べると、もっと生活に根付いたところにお茶がある。農家のおじさんの家に招かれ、質素な暮らしの中で茶道具だけは特別なものとして揃えている姿に感心したと言う。さすがは4000年以上の歴史があり、世界の茶の発祥の地。また味に関しての繊細さにも感心したところがある。古くは「品水」(ピンスイ)という水の品評会が上流階級の人々の中で行われ、茶を味わうと同時に、使う水へのこだわりもその楽しみのひとつとなっていたのだとか。茶藝館によっては、特選の茶葉と相性のいい水を合わせて出すメニューもある。
*あくまで個人の感想です
撮影/名和真紀子 取材・文/山根佐枝
取材日/2020年8月27日