「空港からは約40分で鹿児島中央駅に到着します。そこからは市電も出ておりますが、タクシーにお乗りになるのが早くて楽だと思います」。事前に届いたメッセージには、「工房は外観が普通の古い一軒家で少し分かりにくい」とあり、目印などの丁寧な案内が続き、「鹿児島までわざわざご足労いただき、大変恐縮ですが、とても楽しみにしております」と締められていた。配慮のある文脈と伝統的な和紙漉きの作家でミラノサローネに出展していたという背景から、しっかりした年配の女性を想像して到着すると、出迎えてくれたのは、少しはにかむように話す「お嬢さん」という様子の原口敬子さんだった。
デンマークの「癒しの灯り」に衝撃を受け
築60年の古民家は、以前は祖母が住んでいた家で、父親に手伝ってもらい工房と自らの住処として改装したという。ショールームと作業場を兼ねた1階には、和紙でつくった作品がディスプレイされ、ひとつひとつに明かりが灯っていた。障子をイメージさせる作品が窓からの陽射しを和らげ、それと相まって、まるで光の宿る家のような、居心地のいいぬくもりに溢れている。
敬子さんは鹿児島で育ち、短大では生活科学科でインテリアや建築を学んだ。デンマークのデザインや建築に惹かれ、卒業後にデンマークに渡る。語学を学びながら、ホームステイ先でアルバイトをして子供の世話をする「オペア」として滞在したのち、「ホイスコーレ」と呼ばれる国民学校の建築科で授業を受け、トータルで2年半をデンマークで過ごした。そのときの暮らしの経験、そこで感じたことが、敬子さんを今へと導く大きなきっかけとなった。
「デンマークでは、間接照明の陰影が温かな空間をつくっていたんです。友人の家でも、学校の寮でも、温かい灯りにすごく癒されました」。日本での蛍光灯の下の暮らしに慣れていた敬子さんにとっては、ある意味衝撃だった。デンマークでは、冬は午後3時に暗くなる。だからこそ「夜の過ごし方がすごく上手で、暮らしの中で灯りは大切なもの」。長い冬を越して、二十歳そこそこの敬子さんが、その緩やかな癒しの灯りがあったからこそホームシックにもならなかった、それほど居心地のよかったデンマークの暮らし空間だった。
日本の伝統文化でつくりたい
一方で、海外に出て初めて、「日本のことを何も知らなかった」と自分の生まれ育った国に興味をもつようになり、「デンマークの温かい空間を日本の伝統文化でつくりたい」と強く思ったと言う。「あの薄暗い灯りは和紙でなら実現できるかもしれない」と一念発起、帰国後、鹿児島の伊作和紙の先生に師事。約3年半の勉強ののち、2014年に独立して、この場所に工房を構えることになる。
伝統的技法で和紙を漉くのは、簡単なことではない。まず原料となるコウゾの木の皮を剥いで1週間ほど水につけ、柔らかくしたものを釜で煮て水に晒し、アクを抜く。その後、木槌で叩いて繊維を柔らかくしたものを、ビーターという機械でさらに細かく裂く。紙を漉くための漉き槽に水を溜めて、「コウゾ」とつなぎになる「練り」を入れ、漉き枠を何度も動かし紙を漉いていく。晒しと漉く段階では、大量の水が必要になる。「水はとても大切な材料なんです」。以前から「水をどうにかしなくては」と思っていたのだと言う。
良い和紙には、良い水が重要
「“良い和紙”というのは、正倉院に残る日本に現存する最古の和紙といわれるもので、それが1300年もつのは、やはり良い水が使われているからだという説があります。もちろんほかの要素もいろいろありますが、中でも水は重要」。そう考える敬子さんは、「原因ははっきりとはしていないのですが、水道水を使って漉いた紙が、時間が経ち赤くなったことがあって」と、塩素を懸念して最近水道に浄水器を取り付けてみた。以前はカルキを飛ばすために溜め水をしていたが、冬は何日かおいても大丈夫だけれど、夏は腐りやすいなど苦労も多く、大量に使うだけに「良い水」をつくる手間も相当なものだった。
「湧き水、井戸水、この家から引っ越すか、など考えた結果、浄水という選択をしました。何年か経たないとわからないことではありますが」。今は長持ちする和紙ができることを信じて、作品づくりに集中できると無邪気に喜ぶ。その純粋な心持ちが「良い和紙」を生み出す鍵になる。
撮影/名和真紀子 取材・文/山根佐枝
取材日/2019年11月19日